中文简介
大内义隆(おおうち よしたか)为大内义兴的长男,1522年与1524年曾经随父亲出阵;1551年属下武治派代表陶晴贤不愿意见到本家衰落,发动下克上叛乱,大内义隆发现自己已经丧失了对军队的控制权,在略作抵抗后于八月底逃到大宁寺。九月一日,大内义隆于长门的大宁寺自裁,享年45岁。
日文简介
1507-1551 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)4年11月15日生まれ。大内義興の長男。周防(すおう),長門(ながと),安芸(あき),石見(いわみ),筑前(ちくぜん),豊前(ぶぜん)の守護。大友氏,少弐(しょうに)氏とたたかい九州北部を掌握する。文学・芸能をこのみ,明(みん)(中国)・朝鮮と交易し,またザビエルに布教の許可をあたえる。天文(てんぶん)20年重臣陶晴賢(すえ-はるかた)の謀反にあい,9月1日長門(山口県)大寧寺で自刃(じじん)。45歳。幼名は亀童丸。