中文简介
大内义长(ÔUCHI Yoshinaga) (1532-1557),大友义鉴二子,大友宗麟的弟弟,
日文简介
1540-1557 戦国時代の武将。
天文(てんぶん)9年生まれ。大友義鑑(よしあき)の子。大友宗麟(そうりん)の弟。大内義隆・義尊父子を殺した陶晴賢(すえ-はるかた)にむかえられ,天文21年大内氏の家督をつぐ。24年毛利元就(もとなり)軍と厳島でたたかい敗れる。弘治(こうじ)3年4月3日元就に攻められ長門(ながと)(山口県)長福寺で自刃(じじん)し,大内氏は滅びた。18歳。幼名は塩乙丸。名ははじめ晴英。通称は八郎。
【格言など】さそふとて何か恨みん時来ては嵐の外に花もこそ散れ(辞世)