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太田资宗(1600.12.27-1680.2.22),日本江户时代前期谱代大名。下野国山川藩主、三河国西尾藩主、远江国滨松藩初代藩主。官位从五位下备中守。太田重正次子。母亲为都筑秀纲之女。
日文简介
1600-1680 江戸時代前期の大名。
慶長5年生まれ。太田重正の子。徳川秀忠,家光につかえ,六人衆(のちの若年寄)となる。寛永12年下野(しもつけ)(栃木県)山川藩主太田家初代。1万5600石。奏者番をつとめる。三河(愛知県)西尾藩をへて,正保(しょうほ)元年遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松藩主太田家初代。3万5000石。「寛永諸家系図伝」を編集した。延宝8年1月22日死去。81歳。初名は康資。通称は新六郎。