中文简介
织田信雄(1558年-1630年6月10日)是安土桃山时代、江户时代的武将,宇陀松山藩初代藩主。是太政大臣织田信长的次子,其出家以后号为常真,幼名叫茶筅丸(因为头发像茶筅一样而命名)。
日文简介
1558-1630 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)元年生まれ。織田信長の次男。永禄12年伊勢(いせ)(三重県)国司北畠具房(ともふさ)の養子となる。本能寺の変後清洲城主となり,計100万石を領した。のち豊臣秀吉と対立,転封(てんぽう)命令をこばみ天正(てんしょう)18年領地没収。大坂の陣後,徳川家康から大和(奈良県)松山に5万石をあたえられた。寛永7年4月30日死去。73歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は茶筅(ちゃせん)。通称は三介。号は常真。名は「のぶかつ」ともよむ。