中文简介
织田信忠(1555或1557-1582)是日本安土桃山时代的武将,生母为侧室生驹吉乃,为织田信长正室浓姬的养子,因此被视为嫡长子。在本能寺之变中,信忠遭到明智军的包围,在二条御所自杀。信忠为人处世较之信长而言相对要温和许多,在家臣属下和百姓之中拥有良好的口碑。在以柴田胜家、丹羽长秀为首的织田家老中具有很强的影响力,其人格魅力和能力被家臣们所认同,是织田信长指定的继承人。
日文简介
?-? 織豊-江戸時代前期の大名。
伊勢(いせ)(三重県)安濃津(あのつ)城主織田信包(のぶかね)の長男。豊臣秀吉につかえ,天正(てんしょう)12年(1584)伊勢林城をあたえられ,小牧・長久手(ながくて)の戦い,九州攻めなどに従軍。関ケ原の戦い後,旧領を安堵され林藩主となる。1万石。慶長20年父の遺言で領地を継承した弟信則を徳川家康にうったえ,逆に不届きとされ除封,林藩は廃藩となった。