中文简介
织田信忠(1555或1557-1582)是日本安土桃山时代的武将,生母为侧室生驹吉乃,为织田信长正室浓姬的养子,因此被视为嫡长子。在本能寺之变中,信忠遭到明智军的包围,在二条御所自杀。信忠为人处世较之信长而言相对要温和许多,在家臣属下和百姓之中拥有良好的口碑。在以柴田胜家、丹羽长秀为首的织田家老中具有很强的影响力,其人格魅力和能力被家臣们所认同,是织田信长指定的继承人。
日文简介
1557-1582 織豊時代の武将。
弘治(こうじ)3年生まれ。織田信長の長男。天正(てんしょう)4年信長が安土城にうつると美濃(みの)岐阜城主となる。10年武田攻めの先鋒(せんぽう)大将として勝頼を討ち,快川紹喜(かいせん-じょうき)ら寺僧のこもる恵林(えりん)寺を焼き打ちした。本能寺の変に際し二条御所で明智(あけち)光秀軍に包囲され,同年6月2日自刃(じじん)。26歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は奇妙。初名は信重。通称は菅九郎。