中文简介
加贺美远光(かがみとおみつ、康治二年二月二十八日(1143年3月16日) - 宽喜二年四月十九日(1230年6月6日))平安时代末期、镰仓时代初期之武将。甲斐源氏第三代源清光的四子,武田信义之弟,生母是伯祖佐竹义业的小女儿,幼名丰光丸。是河内源氏一系甲斐源氏加贺美氏的始祖,因其领有甲斐国巨麻郡加贺美乡,通称加贺美次郎。
日文简介
1143-1230 平安後期-鎌倉時代の武将。
康治(こうじ)2年2月28日生まれ。甲斐(かい)源氏,逸見(源)清光の子。治承(じしょう)4年(1180)富士川の戦いに平氏をやぶり,元暦(げんりゃく)元年源範頼(のりより)にしたがって西海におもむき平氏と対戦。源頼朝の推挙によって信濃守となる。文治(ぶんじ)5年奥州攻めにもくわわった。寛喜(かんぎ)2年4月19日死去。88歳。甲斐(山梨県)出身。通称は二郎。