中文简介
(1602~1674)京都人,原名守信,狩野永德之孙,孝信长子,狩野派代表画家。 作为狩野派画家,其吸收汉画(中国风格的绘画)技法,拓展画风,顺应当时武家社会的审美趣好,为狩野派其后三百年的繁荣打下基础,人称狩野派中兴之主。 于1638(宽永15)年出家。
日文简介
1602-1674 江戸時代前期の画家。
慶長7年1月14日生まれ。狩野孝信の長男。元和(げんな)3年幕府御用絵師となり,7年(1621)鍛冶橋(かじばし)狩野家をおこす。二条城,名古屋城などの障壁画制作に参加し,また御所,日光東照宮の障壁画制作に指導的役割をはたした。江戸狩野派の絵画様式はもとより,その組織や社会的地位の確立におおきな影響をあたえた。法印。延宝2年10月7日死去。73歳。名は守信。別号に白蓮子。作品はほかに大徳寺本坊方丈障壁画,「鵜飼(うかい)図屏風」など。