北畠親房

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きたばたけちかふさ
是什么意思

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北畠亲房,日本镰仓时代后期,南北朝前期公卿。《神皇正统记》的作者,后醍醐天皇近侍后三房之一,花将军北畠显家之父。

日文简介

1293-1354 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
正応(しょうおう)6年1月生まれ。北畠師重(もろしげ)の長男。北畠顕家(あきいえ)の父。後醍醐(ごだいご)天皇に信任され世良(ときよし)親王を養育するが,親王の死去で出家。建武の新政で再出仕し,従一位。天皇死後は南朝の中枢として勢力回復につくす。南朝の正統性を主張した「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」は後世ひろくよまれた。文和(ぶんな)3=正平(しょうへい)9年4月17日死去。62歳。法名は宗玄,覚空。
【格言など】魚を得るは網の一目によれば,衆目の力なければ,これを得ること難し(「神皇正統記」)
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