中文简介
恭愍王(1330-1374)(1351年到1374年在位)是第31代高丽王。 名颛,初名祺,高丽忠肃王次子,高丽忠惠王之弟。谥号是恭愍仁文义武勇智明烈敬孝大王、庙号武宗。于1374 年被宦官崔万生等弑杀。王妃是元朝魏王的鲁国大长公主宝塔失里,其他妃子有惠妃李氏、益妃韩氏、定妃安氏、慎妃廉氏等。
日文简介
1330-1374 高麗(こうらい)(朝鮮)の国王。
忠粛王17年生まれ。忠粛王の次男。高麗王朝第31代。在位1351-74。貞治(じょうじ)5=正平(しょうへい)21年(1366)日本に使者をおくって倭寇(わこう)の禁圧を要求。翌年将軍足利義詮(よしあきら)は使いを派遣,とだえていた国交を再開。王は反元(げん)政策をとり,内政改革をすすめたが,恭愍王23年9月22日暗殺された。45歳。