中文简介
阿倍仲麻吕(698年-770年),朝臣姓,安倍氏,汉名朝衡(又作晁衡),字巨卿。日本奈良时代的遣唐留学生之一,开元年间参加科举考试,高中进士。唐左散骑常侍安南都护,中日文化交流杰出的使者。1978年,西安市和奈良县协议在两市各建一座纪念碑供后人瞻仰和缅怀。西安的纪念碑于次年在著名的唐兴庆宫遗址内落成,由我国著名建筑大师张锦秋设计,汉白玉砌筑,仿唐结构,碑高5.36米,端庄峻拔。碑正面刻有"阿倍仲麻吕纪念碑"八字,背面镌刻其事迹,柱顶四侧是表现中日友好的樱花、梅花浮雕,柱基是采用莲瓣雕饰,柱板上刻日本遣唐使船浮雕,两侧分别是李白《哭晁卿衡》诗和阿倍仲麻吕《望乡》诗,具有深邃的中日文化内涵。
日文简介
698/701-770 奈良時代の遣唐留学生,唐(とう)(中国)の官吏。
文武天皇2/大宝(たいほう)元年生まれ。養老元年吉備真備(きびの-まきび),僧玄昉(げんぼう)とともに唐にわたる。科挙に合格し,玄宗皇帝につかえ,左補闕(さほけつ),秘書監,安南都護などを歴任。その間李白(りはく),王維らの文人とも交遊。遣唐使藤原清河(きよかわ)らと鑑真に来日を要請,みずからも帰国しようとしたが失敗,日本にはついにもどれなかった。神護景雲(じんごけいうん)4年1月死去。70/73歳。唐名は仲満,朝衡。
【格言など】天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(「小倉百人一首」)