中文简介
坂上田村麻吕,出生于天平宝字2年 ,卒于弘仁2年阴历5月23日 ,是日本平安时代的武官。名字亦有田村麿的写法。他是传统日本文化中的武神。坂上田村麻吕官位至正三位、大纳言兼右近卫大将兵部卿。勋二等。死后追赠从二位。因讨平东北陆奥虾夷的功勋,被封为第二任征夷大将军(但被认为是首任实质上的征夷大将军)。
日文简介
758-811 奈良-平安時代前期の武人。
天平宝字(てんぴょうほうじ)2年生まれ。坂上苅田麻呂の子。延暦(えんりゃく)10年征夷(せいい)副使となり13年蝦夷(えみし)を討つ。15年陸奥(むつ)出羽(でわ)按察使(あぜち),陸奥守,鎮守将軍を兼任し,16年征夷大将軍。21年陸奥胆沢(いさわ)城,22年志波(しわ)城をきずく。24年参議,大同(だいどう)2年右近衛(うこんえの)大将。5年大納言となり,薬子(くすこ)の変を鎮圧した。京都の清水寺を創建したという。弘仁(こうにん)2年5月23日死去。54歳。贈従二位。