中文简介
细川清氏 ?--1362(正平17,贞治1)左近将监,阿波守,伊予守,相摸守。细川和氏之子。初名元氏。追随尊氏立下战功。1358年成为第二代将军足利义诠的管领。1361年(正平16,康安1)辞退了管领之职,回到了自己的领地若狭国。由于受到佐佐木高氏(道誉)的挑拨,足利义诠进攻若狭,清氏投降了南朝。以后作为南朝的大将与北朝作战,曾一度把足利义诠由京都赶到了近江。后来在赞岐的白峰城之战
日文简介
?-1362 南北朝時代の武将。
細川和氏(かずうじ)の子。足利尊氏,義詮(よしあきら)につかえ,延文3=正平(しょうへい)13年将軍義詮の執事。権勢をふるって佐々木高氏らにねたまれ,義詮に追放されると南朝方にはしり京都を攻撃。讃岐(さぬき)(香川県)で従兄弟(いとこ)の細川頼之(よりゆき)とたたかい,康安2=正平17年7月24日戦死した。初名は元氏。通称は弥八。