前田利家

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まえだ としいえ
是什么意思

中文简介

前田利家(1537-1599)犬千代、孙四郎利家、又左卫门、筑前守、权大纳言,人称“枪之右近”的勇将,尾张国荒子城主前田利春的第四子。15岁出仕织田信长,元服后改称孙四郎利家,是信长宠爱的小姓。21岁同阿松(后称芳春院)结婚、同时改名又左卫门。织田家赤母衣众。柴田胜家手下府中三人众之首,丰臣家五大老次席、后来成为遏制徳川家康的主要力量、受领加贺120万石,号称加贺百万石。庆长4年闰3月3日去世,享年63岁。法名高徳院桃云净见大居士。战国的风云儿织田信长和“天下第一出世人”丰臣秀吉都是光芒耀眼的人物,也都是难以仿效的——除了特别具有野心和智慧的家伙外。相对而言,象前田利家这样一个普通武士,在织田、丰臣两朝能保持着荣宠不衰,在江户时代更是繁衍出四藩大名——加贺金泽藩、上野七日市藩、越中富山藩、加贺大圣寺藩,其中本支加贺金泽藩更是石高高达百二十万(后分出富山藩和大圣寺藩各十万石)。不能不说相当有过人之处。

日文简介

1538-1599 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)7年生まれ。前田利昌(としまさ)の4男。加賀金沢藩主前田家の祖。はじめ織田信長につかえる。天正(てんしょう)11年賤ケ岳(しずがたけ)の戦いで豊臣秀吉について加賀2郡をあたえられ,居城を七尾から金沢にうつした。慶長2年権大納言。秀吉治下では五大老のひとり。民政・理財の才もあり,茶の湯・和歌にも長じた。慶長4年閏(うるう)3月3日死去。62歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。幼名は犬千代。通称は孫四郎,又左衛門尉。
【格言など】武道ばかりを本とする事あるまじく候(子の利長にのこした訓戒)
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