中文简介
松平忠明天正11年(1583年),德川家重臣奥平信昌第四男出生。 庆长4年(1599年)3月11日、徳川秀忠赐予其名字中的“忠”字,遂改名为松平忠明。 庆长19年(1614年)大坂冬之阵,由于松平摄津守忠政病逝,其父信昌让忠明带着,没有作战经验的士兵上阵。
日文简介
1583-1644 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天正(てんしょう)11年生まれ。奥平信昌(のぶまさ)の4男。母は徳川家康の長女亀姫。天正16年家康の養子となる。慶長7年三河作手(つくで)城主,15年伊勢(いせ)亀山城主。大坂冬の陣後,大坂城総堀埋めを指揮。夏の陣後は大坂城をまかされ同地の復旧にあたる。のち大和郡山(こおりやま)藩をへて,寛永16年播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主松平(奥平)家初代。18万石。茶を小堀遠州にまなぶ。寛永21年3月25日死去。62歳。初名は清匡(きよただ)。