万里小路宣房

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までのこうじ のぶふさ
是什么意思

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万里小路宣房(1258~?):镰仓末至南北朝初期的公卿。旧名通俊。父资直,母为八幡法印宗清之女。历任兵部少辅、春宫大进、右少辩、藏人头、参议、左大辩、权中纳言。

日文简介

1258-1348 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
正嘉(しょうか)2年生まれ。藤原(万里小路)資通(すけみち)の子。従一位,大納言にいたる。後醍醐(ごだいご)天皇に重用され,北畠親房(ちかふさ),吉田定房とともに「後(のち)の三房(さんぼう)」と称される。正中(しょうちゅう)の変に際して幕府への釈明の勅使となり,建武(けんむ)の新政では雑訴決断所頭人(とうにん)をつとめた。建武3年出家。貞和(じょうわ)4=正平(しょうへい)3年10月18日死去。91歳。日記に「万一(まんいち)記」。
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