中文简介
源为朝(1139年-1170年4月23日?),日本平安时代末期武将,通称「镇西八郎」。河内源氏栋梁源为义的第八子,也就是源义朝的弟弟、源赖朝的叔父。身高七尺(约210cm),豺目猿臂,膂力过人,且左手比右手还要长四寸,因此适合弯弓射箭。好用强弓、射速也快、是当时最著名的弓箭高手。在日本历史上属于"传说中的英雄人物",关于其生平,除了记载其在保元之乱中活跃的军记物语《保元物语》、侧面提及其勇武的镰仓时代前期官方史书《吾妻镜》之外,还有琉球王国的正史《中山世鉴》《おもろそうし》《椿说弓张月》等记述了他是琉球王国的始皇帝舜天之父。
日文简介
1139-1170 平安時代後期の武将。
保延(ほうえん)5年生まれ。源為義の8男。荒武者で父に九州へ追放され,ここで勢力をはり鎮西八郎と称した。保元(ほうげん)の乱で崇徳(すとく)上皇方につき,強弓をひいて奮戦。敗れて伊豆(いず)大島にながされ,嘉応(かおう)2年(一説に安元3年)追討をうけ自殺した。32歳。琉球にのがれたという伝説もある。
【格言など】院宣と宣旨といずれ甲乙か候(「保元物語」)