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源义经(1159年-1189年6月15日),日本传奇英雄,平安时代末期的名将。出身于河内源氏的武士,家系乃清和源氏其中一支,河内源氏的栋梁源赖信的后代。为源义朝的第九子,幼名牛若(うしわかまる)。源义经之父源义朝在平治之乱中为平清盛所败后,源义经在七岁时被送到京都鞍马寺学习,改名遮那王。之后投奔奥州,受到奥州藤原氏当主藤原秀衡的庇护。承治四年(1180年),源义经与同父异母的兄长源赖朝一齐举兵讨伐平家,在著名的战役源平合战中战功彪炳,威名显赫。但也因功高震主为源赖朝所猜忌,最终兄弟反目成仇。源赖朝得到后白河法皇的院宣后,在全国发布通缉命令追捕源义经。源义经在走投无路之下再度投靠藤原秀衡,藤原秀衡死后,其子藤原泰衡开始排挤义经。文治五年(1189年),源赖朝亲自率兵讨伐平泉。迫于源赖朝之压力,藤原泰衡把枪口转向了源义经。源义经最后在衣川馆自尽。源义经为日本人所爱戴的传统英雄之一,而且由于其生
日文简介
1159-1189 平安後期-鎌倉時代の武将。
平治(へいじ)元年生まれ。源義朝の9男。母は常盤御前(ときわごぜん)。平治の乱での義朝の敗死後,捕らえられて京都の鞍馬(くらま)寺にあずけられる。成長後同寺を脱出し,みずから元服して奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)の庇護(ひご)をうける。治承(じしょう)4年(1180)兄頼朝の挙兵にかけつけ,すぐれた戦略で平家追討に活躍した。後白河法皇の策謀で頼朝と対立。平泉にのがれたが,秀衡の死後文治(ぶんじ)5年閏(うるう)4月30日藤原泰衡(やすひら)に急襲され,衣川館(ころもがわのたて)で自殺。31歳。悲劇の名将として伝説がおおい。幼名は牛若丸。通称は九郎判官。
【格言など】鹿のかよおう所を馬のかよわぬ様やある(「平家物語」ひよどりごえの奇襲を反対されて)