中文简介
三村元亲的父亲家亲,以毛利氏为后盾,将备中国几近全域及备前国一部分纳入势力范围,并谋求将势力扩展到备前、美作国。永禄9年(1566年),宇喜多直家因正面攻击无法取胜,而派人以铁炮将其暗杀。元亲继承家督后,向宇喜多氏展开复仇,率领约2万士兵攻进备前国,但却被仅有5千士兵的宇喜多军所大败(明禅寺之战)。此役让在备中享有威名的三村氏出现衰退,在毛利氏的援助下,元亲总算止住颓势。元亲之墓位在源树寺及赖久寺(都在冈山县高粱市内)等数个地方。
日文简介
?-1575 織豊時代の武将。
三村家親の次男。備中(びっちゅう)(岡山県)松山城主。毛利氏とむすんで宇喜多直家に対抗したが,天正(てんしょう)元年毛利氏と宇喜多氏が和睦したため,毛利氏から離反。毛利・宇喜多連合軍の追討をうけて松山城に籠城,天正3年6月2日自害した。
【格言など】ひとたびは都の月と思ひしにわれ先づ夏の雲にかくるる(辞世)