中文简介
向井正纲(1557-1625) 向井正重之子,母亲是长谷川伊势守长宪之女,正室为长谷川三郎兵卫长久女。向井氏出自清和源氏的足利氏一脉。始祖为足利义康之後经二代传到足利实国时改苗字为仁木,是为仁木氏的始祖。之後经义俊、义继、师义、义胜到仁木右京大夫义长,其子仁木四郎长宗,因战功受将军足利义持赐伊贺国向庄为封地,遂改苗字为向井,是为向井氏的始祖。之後向井氏卷入将军足利义教与镰仓公方足利持氏的争端中从属于将军方,不幸战败自此失去领地移居到伊势田丸臣属爱州氏,走上水军之路,成为三国司之一的北畠氏的水军部队。
日文简介
1557-1625 織豊-江戸時代前期の武将。
弘治(こうじ)3年生まれ。向井水軍の長。武田勝頼につかえ,天正(てんしょう)8年駿河(するが)(静岡県)千本浜沖で北条水軍をやぶる。武田家滅亡で徳川家康の船奉行となった。向井流泳法の祖。寛永2年3月26日死去。69歳。通称は兵庫助(頭)。