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明治天皇(日语:めいじてんのう,1852年11月3日-1912年7月30日),名睦仁(むつひと),日本第一百二十二代天皇,孝明天皇第二子,万延元年(1860)被定为储君,并赐名睦仁。庆应三年(1867年)睦仁继位天皇并经历江户幕府戊辰战争,推翻德川幕府的统治并实行"王政复古",建立君主立宪制的国家。庆应四年(1868年)改元"明治",采取"一世一元制"。明治元年(1868年)颁布一系列维新举措,实行明治维新,带领日本自封建社会迈入工业化世界大国。明治二十二年(1889年)颁布《大日本帝国宪法》(明治宪法),确立了自己的权力。明治二十一年(1890年)颁布《教育敕语》,推行封建的军国主义的教育方针。明治四十五年(1912年)7月30日凌晨零时四十三分因尿毒症去世,享年60岁。陵墓为
日文简介
1852-1912 第122代天皇。在位1867-1912。
嘉永(かえい)5年9月22日生まれ。孝明天皇の第2皇子。母は中山慶子(よしこ)。父の死により16歳で践祚(せんそ)。その10ヵ月後幕府は大政を奉還。五箇条の誓文を公布し,新政府の基本方針をしめす。明治と改元して一世一元とさだめ,京都から東京へ遷都。欧米の制度や文化をみならい,政治,経済,社会,教育,軍事を改革し,大日本帝国憲法や教育勅語などを発布して,立憲国家・近代国家確立に献身した。在位中,日清(にっしん)・日露両戦争,大逆事件がおこり,韓国併合がおこなわれた。和歌をこのみ,約10万首の詠歌をのこした。明治45年7月29日死去。61歳。墓所は伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)(京都市伏見区)。幼称は祐(さちの)宮。諱(いみな)は睦仁(むつひと)。
【格言など】四方(よも)の海みなはらからと思ふ世になど波風の立ち騒ぐらむ