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森喜朗 (もり よしろう、1937年7月14日- )是日本前任内阁总理大臣,日本自民党内森派领袖,2000年接任因脑溢血而不能履行内阁总理大臣职务的小渊惠三,但因屡屡失言及政策失误受到民众极大反对,不得不提前下台,任职仅1年。他是日本政坛的保守派人士,之后由小泉纯一郎接任。妻子为智慧子,育有一儿一女。2014年2月,他在索契冬奥会期间日本召开的奥组委记者会上称英语系敌国语言。
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1937- 昭和後期-平成時代の政治家。
昭和12年7月14日生まれ。9期連続無投票当選した石川県根上町(現・能美市)町長の森茂喜の長男。「産経新聞」記者などをへて昭和44年衆議院議員に初当選(当選14回,自民党)。福田派に属し,安倍晋太郎(しんたろう)の片腕となる。第2次中曾根内閣の文相をはじめ,通産相,建設相を歴任。また党の幹事長(3回),政調会長,総務会長をつとめる。平成10年三塚派をついで森派をひきい,12年小渕恵三首相の病死により党総裁,首相に就任,森連立内閣を発足させた。同年第2次森連立内閣を組閣。24年引退。26年東京五輪・パラリンピック組織委員会会長。早大卒。