中文简介
白鸟敏夫(しらとり としお,1887-1949),日本外交官、官僚,国家主义的发言人,是日本一系列重大侵略行为的积极参与者。曾任日本驻斯堪的纳维亚各国大使,驻意大利大使,和驻德大使大岛浩一起促成德意日三国同盟,第二次世界大战后,作为甲级战犯被捕并被远东国际军事法庭判处无期徒刑。1949年9月,白鸟敏夫在服刑期间死于狱中。著有《国际日本的地位》和《日德意枢轴论》等。
日文简介
1887-1949 大正-昭和時代前期の外交官。
明治20年6月8日生まれ。白鳥庫吉,石井菊次郎の甥(おい)。外務省にはいり,昭和5年情報部長に就任,国際連盟脱退など強硬外交を主張。13年イタリア大使となり,日独伊三国同盟を推進した。17年衆議院議員。戦後A級戦犯として終身刑となり,服役中の昭和24年6月3日死去。63歳。千葉県出身。東京帝大卒。