陶晴賢

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すえはるかた
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陶晴贤(1521年-1555年10月16日),父亲为大内家臣陶兴房。晴贤原名陶隆房,大内氏名将,被主公大内义隆称作"西国无双的侍大将"。后因主公大内义隆不理政事而沉醉于玩乐之中而发动了政变杀死了主公,招致讨伐。1555年10月,陶晴贤率3万大军在严岛与毛利军交战,毛利军在村上水军协助下发动奇袭,导致陶晴贤的军队陷入混乱,陶晴贤在混战中自刃而死,享年35岁。法名是卓针轩吕翁全羡,墓地在广岛县廿日市市洞云寺。

日文简介

1521-1555 戦国時代の武将。
大永(たいえい)元年生まれ。陶興房(おきふさ)の次男。大内義隆の重臣。武断派で,貴族文化をこのむ義隆と対立し,天文(てんぶん)20年義隆を攻めて自害させた。翌年大友宗麟(そうりん)の弟晴英をむかえて大内氏をつがせ,実権をにぎったが,24年10月1日安芸(あき)(広島県)厳島(いつくしま)に毛利元就(もとなり)軍の急襲をうけて敗れ自刃した。35歳。幼名は五郎。初名は隆房。
【格言など】天の与えをとらざれば,かえってその科(とが)を受く
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