中文简介
内藤家长(1546~1600),小名金一郎、弥次右卫门。内藤清长之子。父亲清长拜领松平清康一字,他也依例领家康一字而元服,即所谓的乌帽子亲了。 内藤家弓箭名手辈出,父亲清长就中尤显。天文十一年(1542)清长从军三河上野城,对阵织田信秀,射死射伤敌军数十,侄子内藤正成当时仅十五岁,射完了百枝弓箭。家长亦能骑射,永禄十二年(1569)德川家康攻今川氏真,他的义兄弟内藤信成(清长的养子,长于家长一岁,实际上是岛田景信次子,内藤右京进的外孙)中箭负伤,敌兵要来取他的首级,家长大怒,不及赶上,只得一箭射去,即刻就把敌兵射倒,世人说他是无双的弓手。 天正三年(1575)六月从军攻二俣城,许多人被内藤家长的弓箭射倒。守将依田信蕃便把家长所用的箭射回城下,箭上缚着字条,要问这个神箭手的名姓。家康十分得意,召来家长,把衣服赏给了他,传为逸事。庆长五年(1600),守伏见城被围,临死之前先遣使报告家康,随即
日文简介
1546-1600 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)15年生まれ。内藤清長(きよなが)の長男。徳川氏の家臣。天正(てんしょう)18年徳川家康の関東入部の際,上総(かずさ)(千葉県)佐貫(さぬき)城主となる。2万石。慶長5年関ケ原の戦いで鳥居元忠(とりい-もとただ)らと山城(京都府)伏見城をまもったが,西軍に敗れて同年8月1日自刃(じじん)。55歳。幼名は金一郎。通称は弥次右衛門。