中文简介
丰臣秀长(1540年4月8日-1591年2月15日),丰臣秀吉之弟,父亲是竹阿弥,母亲是大政所阿仲,乳名小一郎、小竹。最初名为羽柴秀长,天正12年(1584年)时,改名为丰臣秀长。 天正13年(1585年)领大和国的郡山城,成为110万石的大名。天正15年(1587年)时任大纳言,因此被称为大和大纳言。 他是兄长丰臣秀吉的左右手,在文武两面都十分活跃,对秀吉统一天下也有极大的贡献。秀长的性格温厚,一直担任辅助兄长的这个职务,许多诸侯也很依靠这个人格高尚的人。
日文简介
1540-1591 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)9年生まれ。豊臣秀吉の異父弟。政権の中枢にあって秀吉を補佐した。中国攻めで戦功をたて四国平定では秀吉の代理をつとめ,その功によって大和郡山(こおりやま)城主となる。のち権(ごんの)大納言となり,大和大納言と称された。天正(てんしょう)19年1月22日死去。52歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。初名は長秀。通称は小一郎。
【格言など】かけて今日行幸(みゆき)をまつの藤浪のゆかり嬉しき花の色かな(「太閤記」)