中文简介
塙保己一(1746~1821)日本江户后期的盲人国学者,文献学者,生于武藏(今琦玉县)农家,原姓荻野,其5岁失明,13岁往江户求学,曾入贺茂真渊门下潜心于国学。以惊人的记忆力学习日本史和古代制度,1793年(宽政五年)在幕府支持下建立日学讲谈所,门下才子辈出。著有《群书类从》、《武家名目抄》、《萤蝇抄》。
日文简介
1746-1821 江戸時代中期-後期の国学者。
延享3年5月5日生まれ。7歳で失明し,検校(けんぎょう)雨富須賀一に入門。歌を萩原宗固,故実を山岡浚明(まつあけ),国学を賀茂真淵(かもの-まぶち)にまなぶ。寛政5年(1793)和学講談所を開設し,「群書類従」「武家名目抄」などを編集した。総検校。文政4年9月12日死去。76歳。武蔵(むさし)児玉郡(埼玉県)出身。本姓は荻野。通称は千弥,保木野一。号は水母子,温古堂。
【格言など】言の葉のおよばぬ身には目に見ぬもなかなかよしや雪のふじの根