中文简介
(1828~1864)福冈藩士,尊攘志士。其通晓国学,于1858(安政5)年脱藩,往京都与诸志士为国事奔走。其曾计划在北九州起兵,事败而被捕。出狱不久又在生野银山举兵,战败被俘,在京都被斩。
日文简介
1828-1864 幕末の武士。
文政11年3月29日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。安政5年脱藩,京都で尊攘(そんじょう)運動にかかわる。文久3年(1863)八月十八日の政変で京都を追われ,沢宣嘉(のぶよし)を擁して但馬(たじま)(兵庫県)生野(いくの)で討幕の挙兵(生野の変)をするが,捕らえられ,元治(げんじ)元年7月20日処刑された。37歳。通称は次郎。号は月廼舎(つきのや),独醒軒。著作に「回天管見策」「尽忠録」など。
【格言など】年老いし親の嘆きはいかならん身は世のためと思ひかへても(辞世)