中文简介
藤原朝光。朝光、圆融帝时特被恩宠,超兄显光为权中纳言。转大纳言兼左近卫大将。长德元年,薨,称闲院大将。朝光美姿仪,尝创意著透额冠,后人遵用焉。初朝光娶重明亲王女,有姿色,生数子。时大纳言源延光妻新寡,妆奁赀贿甚饶。朝光欲获之,因拾摘小过,黜其妻而更娶。年长於朝光,黎面皱发,额上有疵。然其所以媚夫婿甚勤。侍婢三十许人,皆有姿首,袨服靓粧,以列左右。银鎗二十许,常煎药饵,随须供进。寒月如絮席令坐之,卧褥则令侍婢各执熨斗暖之。朝光甚眄之,为清议所鄙,名誉颇衰。子朝经至显官。
日文简介
951-995 平安時代中期の公卿(くぎょう),歌人。
天暦(てんりゃく)5年生まれ。藤原兼通(かねみち)の4男。母は昭子女王。天延2年(974)参議。のち正二位,大納言。閑院大将とよばれる。兄顕光(あきみつ)よりはやく昇進したが,父の没後はふるわなかった。「拾遺和歌集」以下の勅撰集に29首がはいる。長徳元年3月20日死去。45歳。名は「あさてる」ともよむ。家集に「朝光集」。