中文简介
藤原为光。为光,天禄中累迁参议。数岁,叙从三位,任权中纳言。贞元三年,转大纳言。一条帝登极,拜右大臣。永廷元年,叙从一位。正历二年,拜太政大臣,听辇车。明年,薨,年五十二。赠正一位,追封相模公,諡恒德,食封、资人同存日。称后一条太政大臣。初为光女怟子,为华山帝女御,被隆宠。方娠,八月病卒。为光不堪忧戚,自是专归佛乘,平居薰修,一如浮屠氏,创法住寺而居焉。因亦称法住寺相国。其日录曰法住寺相国记。
日文简介
942-992 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
天慶(てんぎょう)5年生まれ。藤原師輔(もろすけ)の9男。母は雅子内親王。天禄(てんろく)元年(970)参議。右大臣,従一位にすすみ,正暦(しょうりゃく)2年太政大臣。娘忯子(しし)の死をいたんで法住寺を建立。後一条太政大臣,法住寺太政大臣とよばれる。正暦3年6月16日死去。51歳。贈正一位。諡(おくりな)は恒徳公。日記に「法住寺相国記」。