足利尊氏

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あしかが たかうじ
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足利高氏(日文:あしかが たかうじ,英文:Ashikaga Takauji;1305年8月19日-1358年6月7日),镰仓时代末期至南北朝时代的武将,室町幕府的第一代征夷大将军(1336-1358年在位)。幼名又太郎。镰仓幕府灭亡后,由后醍醐天皇赐名为"尊氏"(后醍醐天皇讳"尊治")。足利一族本是河内源氏义家流嫡系子孙,北条氏执权之职后,足利氏备受屈辱。正庆二年(1333年),足利尊氏受镰仓幕府之命出征,之后受后醍醐天皇之命明确宣布讨幕,一举攻下京都六波罗府,灭亡镰仓幕府。建武政权建立后,后醍醐天皇对尊氏的权力加以种种限制。尊氏与 建武政权之间的裂痕进一步加深。建武二年(1335年)七月,"中先代之乱"爆发,原镰仓幕府执权北条高时之子北条时行举兵攻入镰仓。足利尊氏率军与其弟足利直义会合,大破镰仓军。此后,足利尊氏占据镰仓,拒不回京。建武三年(1336年),率军攻入京都,拥持明院统丰仁亲王

日文简介

1305-1358 室町幕府初代将軍。在職1338-58。
嘉元(かげん)3年生まれ。足利貞氏の子。母は上杉清子。後醍醐(ごだいご)天皇による鎌倉幕府打倒の元弘(げんこう)の乱で,はじめ幕府軍につくが倒幕に転じ,建武(けんむ)新政第一の功臣となる。のち建武政権にそむき,天皇方に敗れて一時九州にのがれるが,建武3=延元元年楠木正成(まさしげ)をやぶって京にはいり,光明天皇(北朝)を擁立。建武式目を制定,室町幕府をひらいた。2年後征夷大将軍。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で弟の足利直義(ただよし)を討つ。夢窓疎石(むそう-そせき)に帰依し,天竜寺などを建立した。延文3=正平(しょうへい)13年4月30日死去。54歳。初名は高氏。法号は等持院。
【格言など】文武両道は,車輪の如し
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