中文简介
北条高时(1303年-1333年7月4日,嘉元3年-正庆2 年/元弘3年5月22日) 是日本镰仓时代镰仓幕府第十四代执权(1326年),出身于北条家得宗家。 第九代执权北条贞时的第三子,母为安达泰宗之女(觉海圆成)。
日文简介
1303-1333 鎌倉時代の武将。
嘉元(かげん)元年生まれ。北条貞時(さだとき)の次男。正和(しょうわ)5年14代執権となるが,内管領(うちかんれい)長崎高資(たかすけ)らに実権をにぎられ酒宴,田楽にふけったという。正中(しょうちゅう)3年執権を金沢貞顕(かねざわ-さだあき)にゆずり出家。元弘(げんこう)の乱で後醍醐(ごだいご)天皇を隠岐(おき)に流したが,新田義貞に攻められ,正慶(しょうきょう)2=元弘3年5月22日一族とともに鎌倉東勝寺で自刃(じじん),鎌倉幕府は滅亡した。31歳。法名は崇鑑。