中文简介
三浦梅园(Miura Baien,1723-1789) 日本江户时代中期的哲学家、儒医。名晋,字安贞,号梅园,别号孪山、洞仙。1723年9月1日生于丰后国国东郡富永村(今大分县东国东郡安岐町)一个医生家庭。他自幼善思考,大半生探讨自然界的结构和规律。他治学严谨,知识渊博,并且有批判精神和独创精神。他依据中国的《易经》、《庄子》等著作所含思想,参照佛教哲学和当时自然科学知识,用自己独特的语言创立了"条理学"。1789年 4月11日逝世。
日文简介
1723-1789 江戸時代中期の哲学者。
享保(きょうほう)8年8月2日生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)国東(くにさき)郡富永村の庄屋,医師。綾部絅斎(あやべ-けいさい),藤田敬所にまなぶ。独創で天地造化の「条理」をきわめ,梅園三語とよばれる「玄語」「贅語(ぜいご)」「敢語(かんご)」をあらわした。仕官せず,郷里で門人を教育し,思索と著述の生涯をおくった。寛政元年3月14日死去。67歳。名は晋(すすむ)。字(あざな)は安貞。
【格言など】学問は飯と心得べし(「戯示学徒」)