中文简介
(?~1247)三浦义村之子,通称骏河次郎,武将。在承久之乱中随北条泰时渡宇治川作战立功,于1238(历仁1)年任评定众,次年其父亡故,继承家督,作为幕府执权北条氏与安达氏联手排挤三浦氏,其极力反抗而战死。
日文简介
?-1247 鎌倉時代の武将。
三浦義村の次男。相模(さがみ)(神奈川県)の御家人。暦仁(りゃくにん)元年(1238)評定衆となり,北条氏との姻戚(いんせき)関係で勢力をつよめた。寛元4年(1246)反執権勢力による宮騒動に弟光村がかかわったため,北条時頼と対立。鎌倉の邸を焼き討ちされ,宝治(ほうじ)元年6月5日一門とともに法華堂(ほっけどう)で自害(三浦氏の乱)。通称は駿河(するが)次郎。