中文简介
1127~1200)三浦义明次子,平安时代末期、镰仓时代初期的武将,镰仓幕府的御家人,出生于桓武平氏的支流三浦氏家族,是源赖朝死后,镰仓幕府早期十三人合议制的十三人中的一人。呼应源赖朝,于1180(治承4)年随其父在衣笠城起兵,初战败于平氏,逃至安房与赖朝汇合。自1184(元历1)年随源赖范追讨平氏,在坛浦之战中立功。后出任相模守护。曾于1199(正治1)年同众人排挤梶原景时。
日文简介
1127-1200 平安後期-鎌倉時代の武将。
大治(だいじ)2年生まれ。三浦義明の次男。相模(さがみ)(神奈川県)三浦郡の住人。三浦介の称をつぐ。源頼朝の挙兵に初期からくわわり,壇ノ浦の戦い,奥州藤原攻めに活躍。幕府重臣の地位をしめ,頼朝の没後は宿老13人のひとりとなった。相模守護。正治(しょうじ)2年1月23日死去。74歳。幼名は荒次郎。