中文简介
镰仓前期武将。义澄之子,出身于相模国(神奈川县),和父亲一起响应源赖朝的举兵,转战各地,成为幕府创业以来的重臣。和田战役、承久之乱、伊贺氏阴谋等一系列事件中一直坚定不移地站在北条氏一边,其忠心得到幕府的肯定。因为执权泰时的信任,义村成为新设的评定众的一员,参与筹划制定《御成败式目》。
日文简介
?-1239 鎌倉時代の武将。
三浦義澄の子。相模(さがみ)(神奈川県)の御家人。梶原景時(かじわら-かげとき)追放に活躍,幕政で北条氏につぐ地位をしめた。和田氏の乱,承久(じょうきゅう)の乱,伊賀(いが)氏の変でも北条執権方につく。嘉禄(かろく)元年(1225)評定衆となり,「御成敗式目」制定に参与した。延応元年12月5日死去。通称は平六。