中文简介
源义朝(1123年-1160年2月11日),日本平安时代末期武将,东国武士集团首领。父亲是河内源氏首领源为义,母亲是白河法皇近臣藤原忠清的女儿。源氏名将,统领关东群豪,在保元之乱中为朝廷立下大功,后因发起平治之乱而以叛臣身份留名史册。是杰出的政治家源赖朝和著名军事家源义经的父亲。
日文简介
1123-1160 平安時代後期の武将。
保安(ほうあん)4年生まれ。源為義の長男。保元(ほうげん)の乱で後白河天皇方について勝利したが,信西(しんぜい)(藤原通憲(みちのり))の命で崇徳(すとく)上皇方の父と弟たちを処刑した。平治(へいじ)の乱では藤原信頼とともに信西,平清盛の排除をねらって敗退。東国にむかう途中,平治2年1月3日尾張(おわり)(愛知県)で長田忠致(おさだ-ただむね)に謀殺された。38歳。
【格言など】敵のよするを相待て日をのぶるならば,人馬どもつかれて合戦弱(よわか)るべし(「保元物語」保元の乱で白河殿を奇襲するときのことば)