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柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ、庆长18年(1613年)? - 延宝3年9月29日(1675年11月16日))とは、江戸幕府の征夷大将军、4代徳川家纲の剣术の兵法师范。柳生宗矩の三男で柳生十兵卫(三巌)の -- 『ウィキペディア』
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1613-1675 江戸時代前期の剣術家,大名。
慶長18年生まれ。柳生宗矩(むねのり)の3男。柳生新陰流をおさめ,徳川家光の小姓をつとめ,徳川家綱・綱吉の兵法師範となる。兄三厳(みつよし)の急死後,その遺領もついで1万石に復し,寛文8年大和(奈良県)柳生藩主柳生家3代となった。延宝3年9月29日死去。63歳。初名は俊矩。通称は主膳。号は心計,柳陰。飛騨守(ひだのかみ)。