中文简介
日本画家。日本长野县人,明治10年生于上伊那郡高远町,本名国四郎,父亲为四条派画家池上秀华,父祖三代都是画家。15岁时师事荒木宽亩(明治时代日本油画三大家之一)。20岁初试公募展,即获最高奖。其后更精进于画业致力传统日本画之现代化,将西洋自然主义的写实画风融入于日本画之中,画作入选、获奖无数。36岁时,与宽亩师同蒙宠召,挥毫于明治天皇尊前。后来大正天皇巡幸日本美术博会时,亦受命于尊前作画,其作品获宫内省收藏。其他被收藏于皇后宫、总理大臣官邸等政府官厅之作品,为数至多。画伯之名,如日升天。1915年自办「传神洞」画室,培育不少门生,是日本真正「画人」。后人整编有《池上秀亩画集》(信浓每日新闻社)、《池上秀亩展图录》(练马区立美术馆、长野县伊那文化会馆)、《台湾素描》、《台湾纪行》(台湾前卫出版社)等。
日文简介
1874-1944 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治7年10月11日生まれ。東京の荒木寛畝(かんぽ)に文人画をまなぶ。文展で大正5年から3年連続特選。8年発足の帝展では無鑑査となる。昭和8年帝展審査員。山水花鳥画を得意とした。昭和19年5月26日死去。71歳。長野県出身。本名は国三郎。代表作に「夕月」「峻嶺雨後」。