中文简介
岛津重豪(1745年11月29日-1833年3月6日),日本萨摩藩主,1755年继位,他对西方国家发生强烈的兴趣,因而开始学习荷兰语,并保护通晓西学的专家。1774年创办医学校,后又建立研究天文和数学的学校。使萨摩藩成为当时日本技术最先进的地区之一。他的女儿近卫寔子嫁给将军德川家齐,因而能对幕府产生巨大的影响。他在萨摩实行改革,发展经济,后来使得萨摩在明治维新中起了主导作用。
日文简介
1745-1833 江戸時代中期-後期の大名。
延享2年11月7日生まれ。島津重年の長男。宝暦5年11歳で薩摩(さつま)鹿児島藩主島津家8代となる。蘭学や本草学をこのみ,藩校造士館,医学院などを創設。3女茂姫(広大院)が将軍徳川家斉(いえなり)の正室となり,幕府内で重視される。天明7年隠居し,斉宣(なりのぶ)に家督をゆずったが,孫の斉興(なりおき)の代まで藩政の実権をにぎった。天保(てんぽう)4年1月15日死去。89歳。初名は久方,忠洪(ただひろ)。通称は兵庫,又三郎。号は南山,栄翁。著作に「成形図説」「南山俗語考」など。