中文简介
平清盛(日语:たいらのきよもり;1118年2月10日-1181年3月20日),刑部卿平忠盛之子(一说其为白河法皇贞仁的私生子,并无实据),平安时代末期权臣,日本历史上首个军事独裁者,也是武家政权的鼻祖。通称平大相国、清盛入道。平清盛出身伊势平氏,大治四年(1129年),平清盛任左兵卫佐,其后历任中务大辅、肥后、安艺守。仁平三年(1153年),其父平忠盛死后称为平氏首领。保元元年(1156年)平定"保元之乱",任播磨守。平治元年(1159年),平清盛集结所有的兵力击败源氏,平定了"平治之乱"。仁安二年(1167年)出任太政大臣,建立了平氏政权。从此,成了日本最有权势的人物。翌年因病出家,法号净海,但仍总揽朝局。其后平氏又与皇室结成了裙带关系。此后,平氏家族垄断了朝廷的所有高级职务。治承元年(1177)的"鹿谷事件"后,平家与后白河法皇关系恶化,治承三年(1179年)罢免藤原氏等公卿,幽禁后白
日文简介
1170-1185 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
嘉応(かおう)2年生まれ。平宗盛の長男,母は平時信の娘。13歳で正三位,右衛門督(かみ)となる。壇ノ浦の戦いで父とともに捕虜となって鎌倉に護送され,京都にうつされる途中,近江(おうみ)(滋賀県)篠原宿で父とともに源義経の家臣にきられた。元暦(げんりゃく)2年6月21日死去。16歳。