中文简介
平资盛(保元3年(1158年)或応保元年(1161年)-寿永4年3月24日(1185年4月25日)),是日本平安时代的武将。是平清盛的孙子,平重盛的次子,母藤原亲盛之女。极官从三位右近卫中将,《平家物语》中称新三位中将。在平家势力达到全盛的时期,年轻气盛的平资盛曾与摄政松殿基房发生冲突,这被《平家物语》的作者当作平家的恶行之一。1185年平家于坛之浦之战被源氏军打败后,与异母弟平有盛、堂兄弟平行盛携手跳海。
日文简介
1158?-1185 平安時代後期の武将。
保元(ほうげん)3年?生まれ。平重盛の次男。治承(じしょう)4年の源氏挙兵以来各地で源氏勢力とたたかい,寿永2年従三位となって新三位中将とよばれた。平家一門と都落ちをともにし,元暦(げんりゃく)2年3月24日壇ノ浦の戦いで戦死。28歳? 建礼門院右京大夫(うきょうのだいぶ)との恋愛で知られる。
【格言など】ある程があるにもあらぬ内に猶(なほ)かく憂きことをみるぞ悲しき(「玉葉和歌集」)