中文简介
高桥绍运(たかはし じょううん1548年-1586年9月10日)本名吉弘镇理,后改名吉弘镇种。生于天文十七年〈1548年〉,为「丰州三老」之一的吉弘鉴理的次子,母亲为大友家第二十代当主大友义鉴之女。幼名千寿丸、孙七郎。元服后拜受大友义镇〈后来的大友宗麟〉的「镇」字,改名吉弘镇理。吉弘镇理年纪轻轻已经是气度恢宏,重情重义的人,加上其出众才能,在家中得到极高的评价。
日文简介
1548-1586 織豊時代の武将。
天文(てんぶん)17年生まれ。吉弘鑑理(よしひろ-あきただ)の次男。大友宗麟(そうりん)に追放された高橋鑑種(あきたね)の跡をついで筑前(ちくぜん)(福岡県)宝満・岩屋の城主となる。島津義久に岩屋城を攻められ,天正(てんしょう)14年7月27日自害した。39歳。名は鎮種。通称は孫七郎,主膳正。