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竹中重治(たけなか しげはる,Takenaka Shigeharu;1544-1579年),通称竹中半兵卫,又名重虎。是日本战国时代武将,与黑田官兵卫孝高并称为"丰臣两兵卫"的天才军师。其父为美浓国菩提山城主竹中重元,母为杉山久左卫门之女。史载竹中半兵卫自幼饱读兵书,且容貌俊美。十九岁继承家督后,为劝谏昏庸的美浓国主斋藤龙兴,他以区区十七人智取斋藤本城稻叶山,后又将城池原封不动归还斋藤龙兴,一举震动日本。之后竹中受木下秀吉(后来的丰臣秀吉)的三顾之邀,成为织田信长家臣,并在金崎合战和姊川合战中亲率铁炮队两度击破浅井、朝仓联军。后与黑田官兵卫(黑田孝高)共佐秀吉,在攻略西国最强大名毛利辉元的一系列战役中连克数城,却因突染肺结核于播磨国三木城平井山军阵前病倒,留下"死于战场乃武士之本色"的辞世句后抱憾而逝。作为与黑田孝高齐名的天才双璧,竹中重治无疑是过早陨落于战国乱世的一颗将星。但正是在竹中黑
日文简介
1544-1579 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)13年生まれ。竹中重元の子。はじめ斎藤竜興(たつおき)の家臣,のち織田信長,豊臣秀吉につかえた。秀吉の中国攻めに従軍し,天正(てんしょう)7年6月13日播磨(兵庫県)三木の陣中で病没。36歳。後世講談などで軍師として名だかい。美濃(みの)(岐阜県)出身。初名は重虎。通称は半兵衛。
【格言など】過分の良馬を買うべからず