中文简介
立花宗茂(永禄10年8月18日-宽永19年11月25日,即1567年9月20日-1643年1月15日),日本战国时代、安土桃山时代、江户时代初期的武将、大名。高桥绍运的长男,母为斋藤镇实之妹宋云院。立花道雪的养子。妻为立花訚千代,侧室为矢岛八千子(足利义昭之子矢岛秀行之女、大纳言菊亭晴季的孙女)、妾室为叶室菊子(权大纳言叶室赖宣之女)、弟为高桥统增。宗茂是晚年改称的名字,幼名千熊丸、弥七郎、元服后称统虎、镇虎、宗虎、正成、亲成、尚政、政高、俊正、经正、信正、立斋。官位是从四位下左近将监、侍从。丰臣秀吉赞其为"西国无双"。大正4年(1915年)11月10日赠从三位。
日文简介
1569-1643* 織豊-江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)12年8月13日生まれ。高橋紹運の長男。戸次(べっき)(立花)鑑連(あきつら)の養子。豊臣秀吉の九州平定に従軍,天正(てんしょう)15年筑後(ちくご)(福岡県)柳河(やながわ)城主となる。関ケ原の戦いで西軍に属し所領を没収されたが,のち陸奥(むつ)棚倉藩(福島県)藩主をへて,大坂の陣の戦功で元和(げんな)6年旧領を回復し柳河藩主立花家初代となった。10万9600石。寛永19年11月25日死去。74歳。初名は統虎。号は立斎。