中文简介
伊达晴宗(だて はるむね;1519年-1578年1月12日),是陆奥国的战国大名。伊达氏第15代当主。伊达稙宗长子。接受了第12代将军足利义晴的名讳而取名为伊达晴宗。接受幕府将军足利义晴偏讳取一晴字而改名为伊达晴宗。继承其父伊达稙宗政略手法以子女过继联姻,先后与岩城家、留守家、石川家、国分家、芦名家、佐竹家、二阶堂家等势力大名达成政治联姻,与之友好和睦,娶岩城氏第十五代当主岩城重隆之长女久保姬为妻,与岳父达成协议将长女久保姬嫁予晴宗为妻(正室)。
日文简介
1519-1578* 戦国時代の武将。
永正(えいしょう)16年生まれ。伊達稙宗(たねむね)の長男。弟実元の越後(えちご)守護上杉家への入嗣に反対して父とあらそい,洞(うつろ)の乱をひきおこす。のち居城を出羽(でわ)米沢にうつし,奥州探題となった。天文(てんぶん)22年以来権力の集中・強化につとめたが,子の輝宗と対立し,永禄(えいろく)7年ごろ隠居した。天正(てんしょう)5年12月5日死去。59歳。陸奥(むつ)伊達郡(福島県)出身。初名は次郎。号は道祐。