中文简介
那须信吾,土佐藩士,据说无论剑、枪,还是铁炮都运用到了出神入化的地步。因为与龙马交往而接受尊王思想,加入武市瑞山的土佐勤王党。文久2年(1862)4月,参与刺杀土佐大思想家、持论较武市为保守的吉田东洋,因此被迫藏匿于京都长州、萨摩藩邸。翌年8月,天诛组举兵,他即加入出任军监,9月24日于鹫家口战斗中,遭彦根藩士狙击,中弹战死,享年35岁。
日文简介
1829-1863 幕末の武士。
文政12年11月11日生まれ。那須俊平の養子。土佐高知藩の郷士。武市瑞山(ずいざん)の土佐勤王党にはいる。文久2年同志の安岡嘉助,大石団蔵とともに参政の吉田東洋を暗殺,脱藩する。3年天誅(てんちゅう)組の挙兵に軍監として参加,同年9月24日大和(奈良県)鷲家口(わしかぐち)で戦死した。35歳。本姓は浜田。名は重民。変名は石原武(幾)之進。