中文简介
日本明治时期思想家、政治家。萨摩藩士之子。早年醉心洋学。1865年赴欧洲留学。明治维新后回国。1870年赴美调查教育制度。1873年与福泽谕吉等人创建明六社,任社长,积极宣传西方启蒙思想。1885年任文部大臣。在任期间建立明治时期新的教育制度,并参与筹建帝国大学。反对传统观念,崇拜西方思想,对明治时期的文化教育界有一定影响。后因反对神像崇拜,遭宗教狂徒暗杀。
日文简介
1847-1889 明治時代の外交官,政治家。
弘化(こうか)4年7月13日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士で,藩命で英米に留学。新政府につかえたが廃刀案を否決され辞職。明治3年ふたたびむかえられ,外務大輔,イギリス公使などを歴任。この間明六社を結成,「明六雑誌」を刊行して啓蒙活動をおこなった。18年初代文相となり,諸学校令を制定して教育制度を確立。刺客西野文太郎におそわれ,明治22年2月12日死去。43歳。通称は金之丞。
【格言など】女子は天然の教員なり(持論)