中文简介
平沼骐一郎(ひらぬま きいちろう 1867.10.25-1952.8.22),曾任日本首相。1867年出生在日本津山藩(今冈山县)一个藩士家庭。1939年1月,近卫内阁宣布总辞职,在军部和右翼团体的支持下,平沼骐一郎被近卫推荐组阁;3月平沼内阁宣布总辞职。日本宣布无条件投降后不久,平沼以甲级战犯嫌疑被逮捕,关押在巢鸭拘留所。1947年11月,远东国际军事法庭因其对中国、美国、英国、荷兰的"侵略战争罪"以及发动诺门坎事件的责任,以"共同谋议侵略战争罪"判处他终身监禁。1952年8月22日,平沼骐一郎在服刑期间因年老体衰,死于庆应医院,终年86岁。
日文简介
1867-1952 明治-昭和時代前期の司法官,政治家。
慶応3年9月28日生まれ。検事総長,大審院長をへて,大正12年第2次山本内閣の法相。13年右翼結社国本(こくほん)社を結成。昭和14年組閣したが,独ソ不可侵条約の締結を機に総辞職。のち第2・第3次近衛内閣の国務相。戦後,A級戦犯容疑で終身禁固刑。昭和27年8月22日死去。84歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。帝国大学卒。
【格言など】欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた(独ソ不可侵条約締結に際し)