中文简介
一八四四年(天保十五年),在心形刀流伊庭道场第八代当主伊庭秀业家中,一场死去活来的难产之后,女主人生下一个虚弱的男婴。这个男婴就是后来被称为幕末"只腕"美剑士的伊庭八郎。
日文简介
1843-1869 幕末の剣術家,武士。
天保(てんぽう)14年生まれ。心形刀(しんぎょうとう)流8代伊庭軍兵衛の長男。伊庭想太郎の兄。9代伊庭秀俊の養子となり,宗家(10代)をつぐ。講武所から奥詰勤務となり,将軍の護衛役として京坂におもむく。鳥羽・伏見の戦いで負傷,箱根戦争で左腕をうしない,江戸にもどり彰義隊にはいったが敗れた。明治2年5月12日五稜郭(ごりょうかく)の戦いで死去。27歳。名は秀穎(ひでさと)。著作に「征西日記」。
【格言など】まてよ君迷途(めいど)も友と思ひしにしばしおくるる身こそつらけれ(辞世)